お偉いさんが登場する漫画やアニメにありがちなシーンなんですが,なんで背中を向けて話をするのでしょうか。相手の目を見て話せとは,教えられなかったのでしょうか。
ユニコーンの邪武が扉の外に出るまで,ずっと沙織お嬢様は窓の外を向いて,邪武には背中を向けて話をしていました。
こういうシーンって,漫画やアニメではありがちなんですけど,相手には失礼ではないかといつも思うんですよね。
原作の話が多少前後するものの,第2話は単行本2巻の大体3/4ぐらいのお話です。
本編
「聖闘士の修行は常に死と隣り合わせ」
100人以上の子どもを聖闘士にするべく世界中に送り出した祖父城戸光政。そして今翔子を聖闘少女にするべく修行に送り出す沙織は,祖父の言った言葉を噛み締めます。
「聖闘士になって帰ってくることを信じて待つしかない」
聖闘士になって帰ってくるのはごくわずか,ということをわかった上で,子どもたちを死地とも言えるべき聖闘士の修行地へ送り出すわけです。普通に考えれば,「ひどいジジイ」。
「あの方のもとへ送り出すとは,何という因縁だろうなあ」
翔子を聖闘少女になるべく修業をするためにマユラのもとへ送り出した時の辰巳のこの台詞は,原作にはなかったものの,この後の原作の展開を考えると,物語の伏線と重なる重要な台詞です。
この辰巳の台詞には,ちょっと心躍りました。「アニメスタッフさん,やるな」と思いましたね。
女神としての覚醒もまだならば,覚悟もまだの城戸沙織は,エリスの言葉に惑わされる夢をみます。邪悪がはびこるときに人間界に降臨するものの,それが原因となって争いが起こり,聖闘士が死んでいくのではないかと。
こんなことを言われれば,夢に見続けてしまえば,普通の精神の人間ならば,やんでしまうレベルかも知れません。そこは神なので,ちょっと落ち込むぐらいで済んでいるのかもしれません。
無印原作にはない,女神として活きなければならない少女の内面の葛藤が描かれているのが,セインティア翔という作品の良いところです。
そこに聖闘士となるべく送り出されたものの,聖闘士になることなく亡くなった斗樹が邪霊士となって現れ,沙織に襲いかかりますが,邪武が飛んで入って助けます。
邪武と斗樹は孤児院にいた時期は僅かな期間に過ぎないと思われるのですが,6年間も離れ離れになっていて,よく忘れずにそれと気がつけたものです。幼い頃と聖闘士として成長した後の姿はかなり違うと思うのですが,分かるものなんですね。
最後に,イビルシードが地上に放たれる場面でアイオリアとミロ登場。
黄金聖衣と輝きと,ガシャガシャ感がなんとも萌えます。
声優さんのお年を考えれば仕方のないことですが,アイオリアの声がちょっときつそうに感じました。若干かすれた感じがするし……,でも,田中秀幸さんが頑張って演じてくれるのはやっぱり嬉しいです。
「芽吹いてしまった種は,刈らねばならん」by ミロ
この作品のミロは,おいしいところを持っていきます。
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